のぞんだ疲弊
前任校での3年を経て、異動しました。次の職場は約3~4倍の規模。個人的には、前の職場の方が愛着もあり、働きやすくて好きだったのですが、上司との考え方の相違や自身のスキル向上を考え異動希望を出しました。第一希望は通らなかったのですが、次につなぐためのも新しい場所でできる限りのものを吸収していこうと思っています。
今までは、単独で考え動くことができ比較的自由に仕事を進めることができたのですが、今回はチームで働くことを求められるので、好き勝手に、突発的に動くことができず少々窮屈な感じがしています。業務も大幅に増えることになり、退勤時間が連日の超過勤務になっています。正直、疲れますがつらく感じないあたり、自分に必要なしんどさなのだと思っています。
そんな中、同僚に支えられ何とか4月の業務を終えることができました。新配属ってこともあり、そこの流れや抜けている部分を教えてもらったり、一緒に考えたりと有意義な時間をすごさせてもらっています。ここからは、自分の積み重ねてきたスキルを使いながらチームの一員として役立つ動きができたらと思っています。
まぁ、とにかく疲れた…。しっかり休んで5月からも頑張りたいと思っています。
ゲキジョウ型×不信感
勤務校3年目の新学期、引き続き支援学級を担当することになりました。
昨年度の後半から管理職の方針と自身の考えに差異を感じていたので、断ろうとも思いながらも、人事面から考えて希望を押し通すと他に迷惑がかかると思い引き受けることにしました。もともと特別支援教育自体に対しては思いもあり及び腰ではないので、自分のできる範囲でアップグレードをさせながら子たちの力になれたらと思っています。
普段から私自身は、その瞬間瞬間で効果的な指導となるよう手段をあれこれ考えながらアプローチを心がけています。怒ってみたりおどけてみたり、さながら劇場で役者が演じるように、場に適したキャラクターになるような劇場型を意識しているのですが、管理職から見ると情緒が安定しない突発的な指導を行っている激情型ように見えるようです。今日も、私の指導の様子を遠巻きに見て、方法の是非を指摘されました。
なるほど、私が何をめあてにその方法を選び、何を見据えて指導に当たっているのかを見てはもらえていないのだと、管理職とのやり取りの中感じた次第です。そう、根本的に私は信用されていないのだと。
正直、実践も苦労もせずうわべだけの理想を押し付けてくるような、外面だけ取り繕う”特別支援教育わかったふり”は、うんざりです。互いに信用できない環境で、とりあえず3月までのこの一年、自身の信念は譲らぬよう、子どもたちの成長に携わっていければと思った4月の最終勤務日でした。
新学期 × 特別支援
異動してから1年が経ち,新学期が始まりました。
本年度は特別支援学級を担当することになりました。
新入生に在校生が合わさったクラスであり,前年度の担任の先生は異動され,支援の引継ぎを意識しつつ,新たな形も模索しなくてはならない状況に,気ばかりが焦って教育課程編成や支援計画が遅々として進みません。(-_-;)
また,2年目ということもあり重たい分掌もいくつか受け持つことになりました。しかも自分が進めないと全体が滞るものもあるので,責任重大です。
とにかく,主役である子どもたちがのびのびと過ごせるよう,自分のできることをできる範囲であたっていくしかないですね。(毎年言ってるけど…)
I Seek Ego
またまた異動して新しい職場になりました。
3年間同じ教科を専科として過ごし,接する子どもは多少の変化があるもののやっている内容が同じなので自分自身の成長につながらないって感じた次第です。
次の職場では学級担任を拝命したのですが,やはりブランクは大きいもので年度初めの動きをかなり忘れている状態です。子供を中心に据えながらも自分らしさも発揮したい。そんな思いだけが先行しています。空回りにならないように周りの様子を確認しながら丁寧に進めていこうと思っています。
前の職場と違って少人数なので一人当たりの仕事量も多いのですが,今はそれも楽しいと感じています。経験済みの仕事もあれば,新しく挑戦する仕事もあります。失敗を恐れずどんどんチャレンジしてできることを増やしてスキルアップにつなげ自我の強化に努めたいと思います。
臨時休校 ⇒ 修了証
ウチも「右へ倣え」の臨時休校になりました。
上意下達の決定事項に文句を言っても現状が変わるわけではないので,今できることを粛々と取り組むのみです。手元にある資料を基に終業式までに整えなければいけない作業や年度末処理を進めています。幸い教えなけらばならない内容は臨時休校までに終わっていて,あとは定着度をはかったり苦手な分野をふり返ったりする時間を持つ予定だったので,この度の流れにも不満が少ないのかも知れません。
それよりも私が気になるのは,授業時数が規定よりも少なくなっていることです。
ウチの学校でも「通知表」は発行する予定です。3学期の通知表は子どもの成績や出欠の記録だけでなく,その学年の課程を修了したことを認める「修了証」も兼ねています。うろ覚えでしっかりと調べていないので思い違いもあるのかもしれませんが,今回の休校措置においては授業時数が満たない場合でも学習課程を修了したと認めるような見解が示されているようです。もちろん学習内容を次年度に補填することも添えられてはいるようですが。
今回のような場合,果たして本当の意味で修了したと言えるのでしょうか。学校として子どもたちにその学年の課程を修了したと認めてもいいものだろうかと考えてしまいます。それを言い始めたら不登校の児童はどうなるのかと言われかねないのですが,今回のケースは少なくとも公教育における機会の平等性は損なわれていると感じます。文才が乏しく誤解を招いてはいけないと思うのですが,国家が子どもの教育の機会を取り上げるのは太平洋戦争の時代にもあったのではないかと錯誤的なことを,ふと考えてしまいました。